大相撲、大鵬と貴ノ花、千代の富士と貴乃花の「因縁」

大相撲で、1990年5月場所(夏場所)18歳5ヶ月で新入幕の貴花田(後の横綱・貴乃花)は、この場所は、場所前の足のケガもあり、4勝11敗と大きく負け越し、十両に陥落したが、同11月場所(九州場所)に再入幕

再入幕後は、8勝7敗、6勝9敗の後、1991年3月場所(春場所)で12勝3敗で、敢闘賞、技能賞を獲得

翌同5月場所(夏場所)で前頭筆頭まで番付を上げた貴花田は、いきなり初日に横綱・千代の富士と対戦

角界で最初に通算1000勝を達成し、角界では初の国民栄誉賞を受賞した横綱千代の富士貢は、角界のスーパースターであり、大横綱

片や貴花田は新進気鋭の若手

この一番は大いに注目され、勝負は貴花田の完勝

貴花田は、18歳9ヶ月で金星を獲得

一方、敗れた千代の富士は、3日目にも敗れ、現役引退を表明した

千代の富士の「現役最後の相手」は、貴闘力だったが、初日に貴花田に完敗したことが現役引退の大きなきっかけだったという

千代の富士は、当時の歴代1位の優勝回数だった大鵬の32回にあと1と迫る31回を記録していたが、貴花田に完敗し、あと1と迫る中、現役引退を表明した

現役引退について、「気力」が限界で、現役を続けることも限界だったという

思えば、大鵬の現役最後の相手が貴花田の父・初代貴ノ花で貴ノ花に敗れ現役引退し、千代の富士の現役引退のきっかけが貴ノ花の息子の貴花田だったのは「因縁」めいていますね

ちなみに、千代の富士の現役最後の相手・貴闘力の師匠は、初代貴ノ花が親方だった
(貴花田も同じ部屋)

貴花田は、その後、22回の優勝をし、「平成の大横綱」といわれた
(貴花田は、貴ノ花→貴乃花と改名)

1991年5月場所の千代の富士と貴花田(後の横綱・貴乃花)の最初にして最後の対戦は、「昭和の大横綱」(千代の富士)が後の「平成の大横綱」(当時の貴花田、後の横綱・貴乃花)に敗れた歴史的瞬間でした

大鵬と貴ノ花、千代の富士と貴乃花(貴花田)には「因縁」を感じますね

 
貴乃花 我が相撲道

「平成の大横綱」といわれた貴乃花光司氏がインタビューに基づき、我が相撲道を振り返る
大相撲界を去った心境も話しています

感動的な22回目の優勝は、ケガに耐えての優勝で、当時の小泉首相が表彰式で「感動した」とコメントした
しかし、この感動の優勝の「代償」大きく、7場所連続休場などし、その後、回復することなく、現役引退へ
現役引退後、一代年寄を贈られ、貴乃花親方として、将来の理事長候補として活躍したが、幾つかのトラブルに巻き込まれて大相撲界を去った
今後の貴乃花にも注目されます

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